あの世はどこにあるのか

 

 


人は死んだらタンパク質と炭化水素、水分、カルシウム、微量金属元素
などから構成された動かない塊になる。

にもかかわらずその塊から何かが抜け出て、どこか
別の世界にいくという考えってのは未だになくならない。

魂ってのは存在するのか?

いや、その前にある疑問がある。
死んだら意識は即座にぶちっと切れるのか?
魂など存在しないという人はこういう。
死んだら何にもなくなるんだ

が、ちょっと待て。臨死体験という現象がある。
仮死状態になった人が帰ってきた、というのだ。
その体験というのはあまりに似ている。

まず体から意識が離れる。で自分を見下ろす。
やがて飛んでゆきお花畑が見える、川が見える。死んだ親族がやってくる。
で生き返る場合こういう。「火星人は火星に帰お前は帰れ
で、こっちに帰ってくる、というわけだ。

これがあの世への行き方だという。

…ちょっと待て。

実はこれ、魂じゃなくてが認識しているんじゃないのか?

1950年代のアメリカの実験で脳の一部を刺激したら、お花畑を
脳が認識したという話がある。
…ひょっとしてそれって、「臨死体験」の一ページじゃねーか?

だとしたら他の話だって怪しい。

いや、いった本人が嘘を言っているのではない。
本人は臨死体験しているのだ。多分。
やったことないからわからんしやりたくないけど。
あやしいというのは、その体験は脳が見せる世界じゃないのか
とまあこういうことである。

つまり人が死に至るとしても、脳が死んでいるかは別問題
じゃないだろうかと言うことだ。
(SF小説「ミクロの決死圏2」みたいな話だな)

死に方にもよるが、心臓が停止しても脳はまだ死んでいない
かもしれない。で、そのまま放置するとじわじわ死んでゆく。

かつて寺山修二は、「人間は中途半端な死体として生まれてきて、
一生かかって完全な死体になるのだ
」と語った。

しかし死して尚人は中途半端な死体になり、葬儀が終わり
火葬にされて完全な死体になる、というのが真実かもしれない。
土葬にされるなら細胞が死に至るとき、最終的に完全な死体になる。

あの世はひょっとしたら人の中にあるのかもしれない。
その人の中というのがどこにつながっているのか、はわからぬ。
ただ孔子の言葉を借りると「我未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや
生きるとは何かってことも分からんのに死の意味なんぞ分かるもんか。

こればっかりは死んで見ないとわからん。
しかし、今急いで死ぬこともないし大体死にたくないので、
その時になって初めて納得することにするよ。
ああ、これが死か。と。

 

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